石井紘基著「日本が自滅する日」 序章

「日本が自滅する日」

石井紘基

序章

真の構造改革とは何か - 「もう一つの日本」を直視せよ


旗印の正しさだけでは改革はできない

小 泉純一郎首相の出現は、低迷する日本政治に大きなインパクトを与えた。それは小泉氏が、人気のない森政権の後に登場し、「聖域な構造改革」「構造改革なく して景気回復なし」といった立派な発想と旗印の下に、逐年の権力の腐敗に対して力強く対決する姿勢を示したからであった。経済社会情勢がますます悪化する なかで、不公平感を募らせた国民は、小泉首相に最後の望みをかけたのである。

確かに、小泉氏は大胆に旧弊に立ち向かい、日本再生を果たしそうに見えた。多くの政治家のように、地位を得、地位を利用するために旧い利害秩序に忠実で、人間関係の序列に利国であるタイプとは異なり、国家と歴史の使命に忠実な小泉氏の姿勢に、国民は共感したのである。

し かし、残念なことに、旗印の正しさだけでは改革はできない。この半年の経過の中で小泉氏の掲げる【構造改革」はじつは、きわめて内容に乏しいものであるこ とが明らかになった。どうやら小泉氏の「構造改革」は、橋本内閣のころ、あるいはもっと以前からいわれてきた「民間にできることは民間に」「税金の無駄遣 いをなくす」といった「構造改革」と、本質的に違いはなさそうなのだ。

「従 来型の公共事業は景気対策に効果がない」「これ以上借金を増やすことはできない」という主張も目新しいものではない。従来からこうした言葉は、時の政権が 旧い利害の構造を保持するために、国民と状況へのやむを得ざる「妥協」として用い、申し訳程度に実行してきたものだ。

国民が小泉氏に期待したのは、そうした一般的でキャッチコピー的な「構造改革」ではない。旧い政治システムを根底から一変させる、日本再生の国家戦略としての「構造改革」だったはずである。

言い換えれば、今日の危機的状況を招いた我が国の仕組み(=オールタナティブ)にとって替えるための大構想と大戦略を提示し、果敢に実行することこそが期待されたのである。

小 泉首相は就任以来約半年のあいだに、「構造改革」の課題として、国債の新規発行額の限定や道路特定財源の問題、一部の特殊法人や公共事業の見直し、将来の 郵政民営化といったことに触れてきた。正直にいって、これでは、これまで試みられてきた個別的な政策といったいどこが違うのか理解できない。「骨太の方 針」とか「行程表」などのネーミングが躍っただけに思える。

たとえば、道路特定財源が「無駄遣いされている」から「見直す」ことは言葉と して間違いではない。しかしそれを財政の「構造」問題として取りあげるのなら、特定財源は九種類もあるのだからそれらの総体を問題にしなければならない。 しかも、それらの多くは本来の予算であるべき「一般会計」ではなく、「特別会計」という裏帳簿に入る仕組みになっている。

後の章でみるよ うに、これらの資金は行政レベルで配分が決められ、公共事業や”行政企業”、業界などへの「補助金」として流されていく。小泉首相の道路特定財源見直し は、”森”が殺られているときに一本の”枝”を語るようなものである。”枝”を治すには”森”を知り、”森”を治さなければならないのに。

コメントを残す